50th ANNIVERSARY 万代シテイ

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

ご挨拶

Greeting

新潟交通株式会社 代表取締役社長 星野佳人

新潟交通株式会社
代表取締役社長
星野佳人

昭和48年、新潟交通本社ビル、バスセンター、総合スーパーダイエーの新規開業とともに誕生しました「万代シテイ」は本年で50周年を迎えることができました。
この地で長きに亘り商業エリアとして発展してこれましたのも、ひとえに今日の礎を築かれた歴代の経営・開発担当者や多くの商業施設、テナントの皆様のご尽力の賜物と心より感謝申し上げます。
弊社のバス事業に関わる全施設が集中していたこの地区は昭和39年の新潟地震により壊滅的な被害を受け、復旧にどこから手を付けてよいのか困惑するような状況でありましたが、バス事業の機能分散によるリスク回避だけでなく、中心地にあるこの広大なエリアを「夢を売る街」として開発しようとする復興計画から始まったものでした。
お蔭様で続くように紀伊国屋や三越テナントが入るホテルビルやマイカー時代を見据えた大型立体駐車場ビル、さらには全国を代表する百貨店「新潟伊勢丹」が建設され、その後もビルボードプレイスやラブラ万代などの大型商業施設も誕生。加えて週末ごとに行われる各種イベントなどで大いに賑わいを見せる新潟を代表する商業エリアに発展することができました。
近年はマンション建設などで周辺の居住者も増加傾向にあり、お買い物を中心に楽しむ万代シテイも大型映画館や劇場などのエンターテイメントや美容、医療関係施設も誘致し、さらにはゆっくりと滞在時間を楽しむためのフードホールやカフェ、さらにはお子様たちも遊べる緑地空間、「ほこみち制度」を活用した歩行者天国の憩いエリアなど多様化したニーズに応えられる姿に変化してきております。
新潟市が提唱しています「にいがた2km」では人々の玄関口となる今年度末に開業予定の「新・新潟駅ビル」や古くからの歴史、文化の残る街「古町エリア」、大河信濃川の水辺「やすらぎ提」そして中心に位置する「万代シテイ」はこの2核水辺3モールの蝶番的な役割があると考えています。これからの新潟市が魅力ある都市として長く発展し続けるためにも隣接エリア、企業様と連携を取りながらこの先も訪れる皆様に楽しく、喜んでいただける街づくりを続ける必要があると考えております。
最後にこれまでの50年間、万代シテイに携わっていただいた皆様方に感謝と益々のご健勝、ご繁栄を祈念し、ご挨拶とさせていただきます。

万代シテイ商店街振興組合 理事長 高井俊幸

万代シテイ商店街振興組合
理事長
髙井俊幸

昭和48年11月の万代シテイ誕生から50年が経とうとしております。
これまでの間、新潟市内のみならず新潟県内外からご来街いただいた多くの方々、そして万代シテイにご出店いただいた企業様、それらに携わる関係各所の皆様方に支えられて今があることを感謝申し上げます。
合わせて50年前の当時、商業エリアではなかった土地を一から開発した先人達、さらに時代に合わせて変化・進歩させてきた担当者の皆様があって、節目のこのタイミングに携わることができることを重ねて感謝申し上げます。
万代シテイという街はバスセンタービル2階の万代シテイパークを中心に新潟伊勢丹、ラブラ万代・ラブラ2、ビルボードプレイス・BP2、シルバーホテルビルの2階がぺディストリアンデッキで回遊できるという建築的な繋がりと商店街組合員の皆様の協力により、万代シテイパークや万代ストリートで大型イベントを多数開催することができるという営業的な繋がりが可能な全国に類を見ない街に発展したことはとても誇りでもあります。
平成30年からの耐震リニューアル工事を経て、明るく快適で開放的な空間の創出と人々が集い“時感”を楽しむことができる街“万代シテイ”へと進化させ50周年を迎えることができました。
この誇れる街万代シテイを、これまでの50年を活かしさらにこの先も新潟に在住の方々、新潟にお越しの方々の憩いの場であり続けること、そして新潟にご縁のある方々の記憶に残り続ける街、来る側と迎える側双方にとって有益な街となるようさらなる成長を願っております。
最後にこれまで万代シテイに携わっていただいた皆様方のご健勝、ご繁栄を祈念し、50周年を迎えるにあたってのご挨拶とさせていただきます。

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

お祝いメッセージ

Message

NGT48

万代シテイ50周年本当におめでとうございます!
わたしは万代シテイに行くと、幼い頃、父に肩車をしてもらって買い物へ行ったことや、
祖母とレインボータワーに乗ったこと、学校帰りに友達と遊びに行ったことを思い出します。
またNGT48に加入してからは、万代シテイパークのステージで
お披露目やイベントもさせていただきました。
新潟で生まれ育ち、たくさんの時間を万代シテイで過ごしてきて、
ともに成長してきたと思っています。
これからも新潟市の中心街として、多くの方の日常や思い出の場であり続けてください!

From
藤崎 未夢(新潟県出身)

万代シテイ50周年おめでとうございます。
小さい頃、家族で万代シテイへお買い物に行ったり、
レインボータワーに上ったりするのが特別で楽しい時間でした。
大人になった今でもその想いは変わりません。
今こうしてNGT48として活動させていただいていますが、
大切な劇場があるのも万代シテイです。
これからもたくさんの想いが詰まったこの場所を大切にしていきたいです。

From
大塚 七海(新潟県出身)

万代シテイ50周年おめでとうございます。
小さい頃から大人になった今も、万代シテイはわくわくしたり、
ほっとさせてくれる、“いつもの場所”です!
アイドルになって初めてのステージも万代シテイパークだったので、
とても心強かった思い出です。
これからもたくさんお世話になりたい大好きな街です!

From
小越 春花(新潟県出身)

Negicco

NegiccoのNao☆です!万代シテイ50周年おめでとうございます!
私自身が新潟で育ち、万代シテイでの思い出は数えきれないほどあるので、こうやって50周年のお祝いにメッセージを送らせていただけるなんて本当に嬉しいです!
春夏秋冬、いろんな姿に変身する万代シテイですが、Negiccoとしても沢山イベントでステージに立たせていただきました!
万代シテイのステージからの景色は特別で、新潟の賑わいを感じたり!
当時あったレインボータワーからは新潟の景色が一望できてとても素敵でした!
レインボータワーも面影を残しながらみんなを楽しませる場所に変わって、思い出を無くすことなく残してくれた事がとても嬉しかったです!
個人的には芸能スクールの帰りに友達と万代シテイで遊んでから帰ったり、思い出は尽きないですね♪
今は新しく子供が遊べる広場があったり、イベントがある時には沢山の屋台で盛り上がり、クリスマスには大きなクリスマスツリーが飾られてその12月のムードが大好きです!
人がいっぱいで盛り上がっている万代シテイものんびり大きな広場で空を眺めながら歩く万代シテイも自分にとって特別な場所です♪
50周年という時を刻み、これからもいろんな姿に変身して行くんだろうなと楽しみです♪

From
Nao☆

私たちNegiccoはデビューして今年で20年目を迎えました。
デビュー間もない頃に立たせていただいたステージは、十字路の交差点の大きな特設ステージでした。
NegiccoのライブやMVでは何度も訪れたり、レインボータワーは小さい頃から大好きで家族とよく行った思い出の場所です。
普段からよく行くお店だったり、万代そばさんのバスセンターのカレーも大好きです!
私も家族ができ、これから、また新しい思い出が増えていくんだろうなあと嬉しく思っています。なないろガーデンで早く子供と遊びたいな♪とか、新しくできたステージでライブがしたいな♪とか、まだまだ楽しみがいっぱいです!

From
Megu

万代シテイは中学生の頃、友だちとオシャレをして初めて遊びに行ったときのワクワク感が未だに記憶に残っています。
お店を見て回ったり、映画を観たり、美味しいものを食べたり…楽しい思い出がいっぱい詰まっています。
Negiccoとしても、たくさんライブをさせてもらってきました。
少しずつ変化していく姿も楽しみながら、これからも万代シテイでいろいろな思い出を作っていけたらいいなと思います。
50周年おめでとうございます!

From
Kaede

Hilcrhyme

万代シテイ50周年おめでとうございます。
新潟の中心部にあるオープンステージは、Hilcrhymeが下積みの頃から歌ってきた思い出の場所です。
徐々に人を集める事ができて2010年に1万人を超える動員を果たしました。
新潟愛溢れる県民の皆様、そして学生の頃から自分を育んでくれた万代シテイに少しでも恩返しができたのかなと、振り返ると思います。
リニューアルされたステージではまだ歌っていないので、また是非歌わせて頂きたいです。
これからも新潟の象徴として「音の鳴る街」万代シテイの益々のご発展をお祈りいたします。

Little Glee Monster

新潟市長 中原八一

万代シテイが誕生から50周年を迎えられましたことを心よりお祝い申し上げます。
万代シテイ商店街振興組合の皆さまにおかれましては、日頃から、本市のまちづくりに多大なるご理解とご協力をいただき、深く感謝申し上げます。
万代シテイは、1973年に大商業エリアとして誕生して以来、50年という長きにわたり、まちの賑わいを創出し本市の発展に大きく寄与してきました。今では様々な店舗が並び、年間を通してイベントが行われるなど、買い物客や家族連れなどで常に賑わっています。
現在、本市では、駅から古町までの都心エリア「にいがた2キロ」を「人・モノ・情報が集まる拠点」「新潟の成長エンジン」とすることで、本市の活力向上を図る取組を進めています。
万代シテイと「にいがた2キロ」の取組が連動することで、まちの魅力向上や集客などの面で、一層の盛り上がりにつながればと思っていますので、引き続き、皆様からのご支援お力添えを賜りますようお願い申し上げます。
結びに、万代シテイのますますの発展とこれからも多くの方から末長く愛されることを祈念して、お祝いのことばといたします。

(株)新潟三越伊勢丹
代表取締役社長執行役員

牧野伸喜

万代シテイ50周年を謹んでお祝い申し上げます。
半世紀にわたり、万代シテイが新潟市の衣食住のコト・モノの情報発信エリアとして、まちづくりと地域への貢献にご尽力されましたことに、こころより敬意を表します。
1984年に新潟伊勢丹が開店、万代シテイの発展に参加させて頂きました。以降、加盟店舗の皆様と共に新たなお客さまを増やしていくために、百貨店という本業に加え、「万代シテイサンバカーニバル」「万代ジャズフェスティバル」などの万代シテイが一丸となる企画運営に携わり、全国より多くのお客さまがご来街され盛大に盛り上がったことは、当社にとっても良き思い出となっています。
来年は、当社も開店40周年を迎えます。今日まで万代シテイにご来街いただいた皆さまへの感謝の気持ちを忘れず、次の100周年、そして未来を目指し、万代エリアを更に盛り上げてまいります。
万代シテイの今後ますますのご発展をお祈りいたします。

三井不動産株式会社
常務執行役員 商業施設本部長

若林瑞穂

この度は万代シテイ誕生50周年を迎えられ、心よりお祝い申し上げます。
半世紀にわたり新潟市中心部のシンボルである万代シテイの発展に貢献されてきた万代シテイ商店街振興組合様の功績に敬意を表すところであります。
三井不動産としましても、2007年よりラブラ万代、2013年よりラブラ2の運営に関わらせていただき、県下随一の商業集積エリア発展の一端を担うことができたことを心より光栄に存じます。
万代シテイの今後、益々のご発展を祈念しております。

清水建設株式会社
副社長執行役員

山地 徹

このたびは、万代シテイ50周年を迎えられた事、心よりお慶び申し上げます。
昭和47年に“車時代に対応できる商業エリア”をコンセプトに、各施設を2階通路で繋ぐなど、人と車を完全に分離させた先進的な街づくり計画をスタートされました。その計画全てを弊社がお手伝いさせていただきました事、あらためて感謝申し上げます。
私が、平成18年に新潟営業所長として着任した際、初めて訪れた万代シテイの賑わいに街の将来性を感じたこと、また、その時食べたバスセンターカレーの美味しさを鮮明に覚えております。
在任時はラブラ万代がリニューアルオープンを迎え、街のシンボルとしてレインボータワーも健在でした。その後、レインボータワーが解体されると知ったときはファンの一人として非常に残念ではありましたが、今の万代広場は子供たちが楽しそうに遊ぶ姿が印象的で以前にも増して笑顔あふれる街になったと感じております。
結びに、万代シテイとご関係者皆様の更なるご発展を心より祈念申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。おめでとうございました。

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

万代シテイ50年の歩み

History

いつ来ても
“たのCITY”の
成長ストーリー。

時代と共に進化・成長する街、万代シテイ。
その50年の歩みを懐かしい写真と共にプレイバック!

  1. A.D. 1972 昭和47

    シルバーボウルビル オープン(~2011年)

    万代シテイは ココからスタート!

    万代地域の再開発の第一歩として、街のレジャーを担うシルバーボウルビルがオープンした。

  2. A.D. 1973 昭和48

    バスセンタービル オープン

    日本初! U字型のバスターミナル

    日本初のU字型バスターミナルを有し、2階以上には街のシンボルとなるレインボータワーや広場、個性豊かな店舗が入居したバスセンタービルがオープンした。竣工式では、万代シテイ誕生を記念してつくられた「行進曲新潟」(作曲:湯浅譲二氏)が新潟の空に響きわたった。

    ダイエー新潟店 オープン(~2005年)

    大型スーパーが 新潟に登場!

    万代シテイのキーテナントとして大型スーパーのダイエーがオープンした。“よい品をどんどん安く”これまでその名を知らなかった県民も、口から口へ、次第にそのサービス哲学を知り、オープン当日には数万を超える人が押し寄せた。

  3. A.D. 1975 昭和50

    万代シルバーホテルビル オープン

    紀伊國屋書店 オープン

    三越エレガンス オープン(~2002年)

    シルバーホテルの他、当時県下最大規模の売り場面積となった紀伊國屋書店や、日本海側では初出店となった三越エレガンスなど大型の有名店が入居した。三越エレガンスのオープンの際には万代シテイパークではファッションショーなどが行われ、華やかなスタートをきった。

  4. A.D. 1978 昭和53

    榊原郁恵オンステージ

    トップアイドルの コンサート!

    万代シテイパークには学生を中心に多くの人が集まり、推定1万人を超える空前の人出であった。

  5. A.D. 1981 昭和56

    万代シテイ第一駐車場ビル オープン

    マイカーでも 来やすい街に

    来街者の増加により慢性化していた駐車場不足を解決すべく、収容台数511台の当時新潟市内最大規模のパーキングビルとして開業した。

  6. A.D. 1984 昭和59

    万代シテイ第二駐車場ビル オープン

    巨大パーキングビルが誕生

    新潟伊勢丹のオープンを控え、当時北陸最大規模のパーキングビルとして開業した。ペデストリアンデッキより新潟伊勢丹、バスセンター、ダイエー、ホテルビルと結ばれた。

    新潟伊勢丹 オープン

    万代シテイは ファッションの街に!

    オープンには平日にも関わらず、約10万人が押し寄せた。万代に着くバスはどれも満車、新潟駅から人流は繋がり、万代シテイは人で溢れた

    万代シネモールビル オープン

    思い出の 街ナカ映画館!

    オープン当初、地下1階には万代シテイに初登場した映画館「万代東宝プラザ」が入居。初上映は「ゴーストバスターズ」であった。

    サンバ DE カーニバル(~1998年)

    サンバの熱狂で 万代シテイが包まれた!

    新潟まつりの時期に合わせて開催され、本場ブラジルからもダンサーが駆け付け、会場を大いに盛り上げた。賞金30万円とハワイ旅行の「サンバ大賞」を目指し、多くのチームがコンテストに挑んだ。

  7. A.D. 1985 昭和60

    新潟市民映画館シネ・ウィンド オープン

    新潟の映画文化 発信拠点!

    多くの映画ファンから愛された名画座「ライフ」(古町)の閉館を受け、市民参加と市民出資により運営を行う独自の映画館として開館した。

    福まきショー(~1993年)

    寒空に大観衆の熱気!

    三条市本成寺の「鬼追い踊り」の出演や福まき、餅つき大会などが行われた。寒空の下、各店提供の豪華景品の当たる福袋をめがけ多くの人が集まった。

  8. A.D. 1987 昭和62

    エフエムラジオ新潟 開局

    新潟県初! 民放ラジオ局がオープン!

    万代第二駐車ビルの一角に県内最初の民放エフエム局として開局。2003年(平成15年)の本社移転に合わせBP2にサテライトスタジオを開局した。

  9. A.D. 1989 昭和64年/平成

    新潟テレコムビル オープン

    最新技術の シンボルビルディング

    高度情報化社会を見据え、LANなどの情報通信設備を備えた施設としてオープンした。

  10. A.D. 1992 平成4

    新潟フェイズ オープン(~2007年)

    音楽ライブやイベントの 会場として有名

    様々なイベントを開催することができる多目的スペース。特徴的な大型シャッターを開閉することでイベント内容に合わせた展開が可能なことからその名が付けられた。

  11. A.D. 1995 平成7

    新潟ジョイポリス オープン(~2000年)

    新潟屈指の エンタメ空間

    VRなどの当時の最新技術を駆使したアミューズメント施設としてオープンした。

  12. A.D. 1996 平成8

    万代シテイビルボードプレイス オープン

    最新のトレンド ファッションを発信

    これまで新潟では買えなかった人気ブランドが勢ぞろいしたエンターテイメントショッピングビルとしてオープンした。ビル内外が多くのビルボード(広告看板)で彩られていることから、この名前がつけられた。

  13. A.D. 1997 平成9

    万代クロッシング供用開始

    便利で快適な 地下横断歩道

    歩行者の安全性・快適性の確保と交通の円滑化を目的につくられた。水の空間をモチーフとし、透明感のある明るく軽やかなデザインになっている。

  14. A.D. 1999 平成11

    万代ジャズフェスティバル(~2014年)

    心躍る街ナカ 音楽イベント

    恒例となっていた「サンバDEカーニバル」にかわる夏の名物イベントとして開催されていた。ジャズ界の有名奏者と県内バンドの奏でるムーディーな音楽に観客は酔いしれた。

  15. A.D. 2001 平成13

    BP2 オープン
    Tジョイ新潟万代オープン

    大型シネコンが 新たに誕生

    ジョイポリス閉館後、シネマコンプレックス「T・ジョイ新潟万代」などが入居する複合施設としてリニューアルオープンした。

  16. A.D. 2002 平成14

    新潟アルタ オープン(~2019年)

    若者ファッションの 流行基地

    三越エレガンスが若者向け専門店街としてリニューアルオープンした。東京発のファッションビルとして、新潟の若者に影響を与え続けた。

  17. A.D. 2003 平成15

    朱鷺メッセ オープン

    ウォーターフロントの 新たなシンボル

    信濃川河口にある万代島の豊かな水辺空間を生かし朱鷺メッセはオープンした。新潟地域の発展を目指し、日本海側随一のコンベンション施設として整備された。展示場・会議場、ホテル、オフィス等からなり、国内外から多くの方々が来場するイベント等で利用され、新潟のランドマークとなっている。

  18. A.D. 2004 平成16

    NST新潟総合テレビ新社屋 オープン

    話題の情報は ココから発信

    上所の旧社屋から移転オープンした。放送スタジオなどのテレビ局としての機能はもちろん、イベントデッキ「ゆめてらす」がつくられ、毎年5月、9月には万代シテイパークと連動した「信濃川感謝祭やすらぎ堤川まつり」や「NSTまつり」が開催され、多くの人で賑わっている。

  19. A.D. 2007 平成19

    ラブラ万代 オープン

    万代に新たに加わった ショッピングビル

    ダイエーの閉店以後、全43店舗(新潟初出店24店舗)の専門店からなる複合商業施設として生まれ変わった。名称の由来は「ラブラブ(愛)」と「ブラブラ(散策)」を掛けあわせたもの。

  20. A.D. 2010 平成22

    Hilcrhyme
    1stアルバム「リサイタル」発売記念ライブ

    1万人が万代シテイパークを 埋め尽くす

    朝早くから行列ができ、ライブ開始時には1万人の人々が来場し万代シテイが人で埋め尽くされた。ライブ終了後にはBP2にてアルバムを購入した方へ、新潟限定CDジャケットがメンバーの手渡しでプレゼントされた。

  21. A.D. 2013 平成25

    新潟日報メディアシップ オープン

    メディアシップはオフィスや商業、文化、交流施設が入る多機能型複合ビルとしてオープン。高さ105メートルで、「現代の北前船」をコンセプトに人と情報の交流拠点として誕生し、現在も新潟市中心部のランドマークとなっている。

    ラブラ2 オープン

    ラブラの魅力が さらにアップ!

    "SMART LINK PLACE-様々なヒト・モノ・コトが繋がる施設-"をコンセプトに、シルバーボウルビル跡地に建てられた。ラブラ万代とはペデストリアンデッキで繋がり、多様なお客様のニーズに応える。

    PRキャラクター「ばんにゃい」誕生

    万代シテイの 人気者が誕生

    万代シテイ40周年を記念して、一般公募で寄せられた625のキャラクターの中から選ばれた。万代シテイのいいところ、楽しいところを知ってもらうために活動中。

  22. A.D. 2016 平成28

    NGT劇場 オープン

    会えるアイドルが 新潟にも!

    国内5つめの48グループとして新潟県に誕生したNGT48の専用劇場がラブラ2 4階にオープンした。劇場ロビーは、NGT48のイメージカラーである白と赤を基調とした内装となっている。

  23. A.D. 2018 平成30

    レインボータワー解体

    ありがとう レインボータワー!

    2011年の東日本大震災以後、安全性を考慮して操業を休止していたが、この年に解体された。街のシンボルであり、万代シテイを誕生から45年見守ってきたレインボータワーは、リニューアル後のモニュメントやPRキャラクターばんにゃいのしっぽなど、これからも街とともに生き続ける。

  24. A.D. 2021 令和3

    万代シテイパーク リニューアル

    たくさんの笑顔があふれる みんなの広場に

    耐震工事と併せて明るく開放的な空間へと生まれ変わった。新たにつくられた緑地帯「なないろガーデン」には遊具などが配され、多くの子供たちで賑わっている。また、レインボータワー跡地には、タワーの客車を模したモニュメントがつくられ、万代シテイの過去の写真から、これまでの歴史を楽しむことができる。

  25. A.D. 2022 令和4

    万代フードホール オープン

    上質なインテリアに 囲まれた新しい食空間

    カジュアルなイメージのフードコートとは異なり、上質なインテリアに囲まれた環境で飲食が楽しめる食空間。ファミリーエリアには授乳室も完備されている。

  26. A.D. 2023 令和5

    50th ANNIVERSARY!
    万代シテイ誕生50周年

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

スペシャルインタビュー

Special Interview

万代シテイの歴史を聞く。

万代シテイが誕生したのは1973年(昭和48年)。
世界的には第一次オイルショックの年、
国内ではバンド・チューリップの『心の旅』がヒットした年として記憶されています。
そんな懐かしい昭和の空気を感じる時代に新しい街、万代シテイは生まれました。
街の中心は今と変わらずバスセンター。
それを囲むようにホテルやボウリング場、巨大スーパーが並び、
当時は県内一の高さと言われたレインボータワーが誇らしげにそびえ立ちました。
この新しい街はどのようにして生まれ、
どのような時代を見てきたのか。
当時から今までを知る2人のキーマンにお話を聞きました。

Special Interview.01

株式会社シルバーホテル相談役

中野 進

時代が求めるものを的確にとらえ、
進化する。
万代シテイが目指したのは
「日本一」が集まる街だった。

まずは万代シテイ構想の中核を担い、
当時・新潟交通取締役企画室長だった中野進さん。
万代シテイ構想のスタートは
昭和45年(1970)にさかのぼります。

万代シテイは
「新潟市民がほしいものは何か」を
知ることから始まった。

万代シテイの構想が始まった
契機について教えてください。

万代シテイ構想は、昭和39年(1964)の新潟地震からの復興プロジェクトでした。当時の万代地区には、新潟交通の本社やバスの車庫、整備工場などが集まっていましたが、新潟地震により壊滅的な被害を受けました。また、田中角栄氏が『日本列島改造論』を唱え、新幹線と高速道路が都心と地方を結ぶ時代の到来が予見されたことにより、市内には新潟のマーケットが東京に流出してしまうのではという不安が漂っていました。
そのため、新潟にも人を引き付けるマグネットのように強力な魅力を持つ街が必要だという話になりました。それが万代シテイ構想のスタートで、昭和45年(1970)のことです。「新潟市民が望み、新潟全体の役に立つものをここから創り出そう」と新潟交通の精鋭チームがプロジェクトの中心を担いました。まず、取り組んだのはソーシャルニーズのリサーチ、つまり「新潟市民がほしいものは何か」の把握です。その結果、大型の総合スーパー、ファッションをリードする都市型百貨店、イベントスペースや映画館などが求められていることが分かりました。

目指したのは衣食住と
エンタテイメントが一体となった街。

交通の要であるバスセンターと大型商業施設が一体化した夢のある街は、
新潟市民の声をふまえたものだったのですね。

すでに海外では、ハワイのアラモアナセンターや、ロサンゼルスのファッションアイランドなど、買い物のための巨大な街が出現していました。しかし、私たちは買い物だけでなく、衣食住とエンタテイメント、アミューズメントが一体となった新しいショッピングゾーンを目指したのです。中心になるバスセンターの2階はイベント広場にし、これを囲むように店舗を配置しました。
また、2階のイベント広場と建物間はペデストリアンデッキと呼ばれる歩行者専用の上空通路でつなぎました。この広場のような横断歩道のような橋により人がスムーズに回遊できるようにしたのです。このように街全体のデザインと区画プラン、テナント交渉は同時に進めていきました。

「日本一」が集まる街を創る。

それまでの新潟にはなかった
魅力的な商業施設は、
どのようにして集められたのでしょうか?

私たちが目指したのは「その道の日本一」を万代に集めようということでした。総合スーパーならダイエー、百貨店なら三越(万代シテイには三越エレガンスとして出店)、書店なら紀伊国屋書店と決めてテナント交渉を始め、いずれも出店にこぎつけました。すべて新潟初進出の企業ばかりで、県内だけでなく、山形や福島など県外からのお客様にも足を運んでいただけるような魅力を持っていました。さらに、街へのアクセスはバスでの往来を中心に据えつつ、マイカー時代の到来に備えて駐車場も整備しました。魅力があり訪れやすい街を創ることで新潟の商圏を広げたことも万代シテイの功績といえるでしょう。

万代シテイは常に進化し、
みなさんが求めるものを
反映し集約し続ける。

その後も昭和59年(1984)に新潟伊勢丹、
平成8年(1996)に万代シテイビルボードプレイスがオープン。
「若者とファッションの街、万代シテイ」という印象が定着しました。
平成19年(2007)にはダイエー跡地がラブラ万代に生まれ変わり、
万代シテイは時代と共にその姿を変えていきます。

50年が経っても変わらないのは、万代シテイが新潟市民のソーシャルニーズ、みなさんが求めるものを反映し集約している場所だということです。求めるものは時代と共に変わり続けていくので、万代シテイもそれを的確にとらえ先取りし、進化し続けていかなければなりません。
私が万代シテイの次の50年に期待するのは「モアグリーン、モアエンタテイメント」。ハードとソフトの面で充実した万代シテイにとって、次に必要なのは木々などの緑を感じるスペースと、そのスペースを使った楽しい過ごし方の提案だと思います。未来の方たちが描く未来の万代シテイに期待しています。

Special Interview.02

万代シテイ商店街振興組合 副理事長
新潟・市民映画館 シネ・ウインド代表

齋藤 正行 (74才)

交通の要所と文化や
娯楽の表現の場所が一体になった独創性。
私達の街“万代シテイ”

万代シテイは魅力的な商業施設や店舗が
集まる買い物の街としてだけでなく、
さまざまなイベントや文化的な催しが開かれる
エンタテイメントの街でもあります。
新潟・市民映画館シネ・ウインドを立ち上げ、
現在も万代シテイ商店街振興組合で副理事長を務める
齋藤正行さんが見続けてきた万代シテイについてお話を聞きました。

万代シテイには
文化を応援してくれる大人がいた。

市民によって支えられる映画館、
シネ・ウインドが万代シテイで開館した
経緯を教えてください。

昭和60年(1985)年3月に、多くの映画ファンに愛された古町の名画座ライフが閉館しました。それをきっかけに、「市民の手で運営する映画館」を開こうと、私たちは一口1万円の出資を広く呼びかけ、同年12月に「新潟・市民映画館シネ・ウインド」が開館しました。
シネ・ウインドの場所を考えるにあたり、いくつかの候補地を検討して分かったのは、「私たちが思い描く映画館は手垢のついた場所ではできない」ということ。そして「信頼できる人や場所と一緒に太く長くやりたい」ということでした。そんな中で声をかけてくれたのが万代シテイを作り上げた新潟交通の中野進さん(当時の取締役社長)でした。みなさんは私たちの「非営利のNPO映画館」という構想、そして「50年続く映画館を」という思いをきちんと聞いてくれました。私は当時30代半ば。若造の考えを理解してくださった度量の大きさには感謝と驚きしかありません。
万代シテイには文化を応援する大人がいたということです。万代シテイの初期、「日本一が集まる街」というテナント構想があった一方で、「新潟にしかない独自の魅力で人を集める」というイメージがあったのかもしれません。そうでなければ、すでに東宝プラザという映画館があった万代シテイに、シネ・ウインドを加えようという考えにはならなかったと思うのです。

「万代シテイはみんなのもの」と
街に関わる全員が理解していた。

新しい商業施設や店舗が続々と増え、
変わり続ける万代シテイをどのように
見てきましたか?

万代シテイの街づくりの根底に感じるのは、中心を担う新潟交通のパイオニア精神と地域に根差す公共精神です。
パイオニアという点では、バスセンターは日本初と言われた馬蹄型のバスターミナルでしたし、その2階部分に大きなステージを作ることで一大エンタテイメントゾーンとしての機能も果たしています。新しい街にとって、そこに足を運ぶための交通手段があることは非常に重要で、そこが文化や娯楽の表現の場所と一体となっていることが独創的でした。
また、公共精神という点では、万代シテイが一企業である新潟交通が取りまとめているエリアにも関わらず、外に向かって広く開かれた場所だということです。これはもともとバス事業という公共性の高い事業を行ってきた企業ならではの街づくりだったと思います。
シネ・ウインドが開館した約40年前、歩行者通行量のランキングで市内の商店街中、万代シテイは最下位でした。今は1番の街となりましたが、街に人が増えるにつれてさまざまなトラブルも出てきます。そこで、街を訪れる方たちが安心して集えるように、万代シテイの組合員で防犯委員会を作り、交番を誘致するなどの取り組みをしました。街の風景を描くときは1人だけががんばってもダメで、「万代シテイはみんなのもの」と街に関わる全員が理解しているからこその成果だったと思います。

犯罪や災害に強い街。
誰もが安心して集える環境作りが重要。

万代シテイの未来について、
期待している想いを教えてください。

万代シテイは今、これからの50年を考えるタイミングに立っていて、次の50年を描く力が問われているように思います。目に見える売り上げや効率化を追い求める時代ではありますが、街にとって何より重要なのは環境作りです。犯罪や災害に強い街であることが大切で、それが安心して遊びに来れる街の魅力の基礎になっています。万代シテイには若くて優秀な方たちがたくさんいます。彼らが描く万代シテイの次の50年に期待しています。

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

50周年事業

Event

デジタルMAP開設

2023年4月28日~

BanBan使えるクーポン祭り

2023年4月28日~5月7日

5のつく日キャンペーン

2023年6月5日~

万代ホコテン~Re:にじのまち~

2023年7月~10月

万代シテイサマーセール
SPECIAL Pon!Pon!ガラPon!

2023年7月1日・2日

デジタルMAPでPon!
万代シテイお買い物スタンプラリー

2023年8月4日~8月13日

Little Glee Monster
万代シテイ50周年記念
8月23日(水)発売 「今この瞬間を」
リリースイベント

2023年8月31日

50周年コラボ企画
サーティーワンアイスクリーム
新潟万代シテイ店限定
ばんにゃいコラボスリーブ

2023年9月1日~

NSTまつり2023
万代シテイ誕生50周年記念
お笑いライブ

2023年9月24日

ランチパック・カレーパン
50thデザイン

2023年10月~12月

万代シテイ誕生50周年
万代シテイの歴史を巡る!

2023年10月7日~

50th ANNIVERSARY 万代シテイ

これからの万代シテイ

Future

万代シテイの未来を話そう、考えよう
次の世代を担う若者たちが
思い描く虹の街

節目の年を迎えた万代シテイでは、
次の50年に向けて
街の未来を描くさまざまなプロジェクトが計画・進行中です。
これからの新潟を担う若者代表として、
「万代からはじまる・つなげるプロジェクト」をテーマに活動する
新潟大学Nホームのみなさんに、万代シテイの目指すべき姿、
次の一歩を考えてもらいました。

(左から)新潟大学Nホーム吉川さんと森山さん。
万代シテイ商店街振興組合の難波さん、山口さん、佐藤専務理事

万代シテイと新潟駅を繋ぐ
レインボースカイデッキ

吉川:今日は2つのアイデアを考えてきましたので、発表させてください 。1つ目は、万代シテイから新潟駅までを屋根のある高架通路で繋ぐ『レインボースカイデッキ』です。万代シテイにはバスターミナルがあり駐車場も多く、車でのアクセスに便利な一方で、新潟駅からの移動の便が悪い印象があります。雨や雪に濡れずに移動できる通路があれば、街にさらに人流を生み出すことが期待されます。

難波:新潟駅から万代シテイまでは徒歩で10分ほどですが、悪天候時には移動が不便になります。安心安全に歩けるルートができると、さらに来やすい街になりますね。

吉川:また、レインボースカイデッキの道中には、県外の方が喜ぶ新潟グルメのお店や屋台を開き、イスやテーブルを設置して食事ができるようにすると、さらに徒歩での移動が楽しくなると思います。

山口:定期的にお店や屋台が変わると毎回来るのが楽しみになりますね。

吉川:壁面にさまざまなキャンペーンの広告を設置すれば、街の情報を伝えることができますし、季節の装飾をして草花を植えても移動が楽しくなると思います。ちなみにレインボースカイデッキの名称は「万代シテイと新潟駅を虹でつなげる」というイメージで考えました。

山口:万代シテイのシンボルである虹をいかした素敵なアイデアだと思いました。

佐藤:街と駅を繋げるという素晴らしいアイデアです。単に移動のための通路ではなく、「楽しみながら歩く」という発想が面白いと思います。

街を丸ごとイベントやライブPRの場に
万代を周遊できる仕組みをつくる

森山:2つ目は『万代イベントジャックで集客作戦〜1日中楽しめる万代に〜』です。万代シテイでは、バスセンター2階の万代シテイパークを中心に、さまざまなイベントが行なわれています。しかし、イベントが終わるとそのまま帰ってしまう人が、特に県外からのお客さんに多い印象を受けました。イベント目当てに来たお客さんに1日中、万代シテイを楽しんでもらいたいと考えた企画です。万代シテイ各所やステージ裏などにデジタル看板を設置し、街全体を大々的に広告ができる場にするという内容です。イベントを楽しんだあとの過ごし方や楽しみ方を伝えられれば、万代シテイを隈なく巡ってもらえる可能性が作れると思います。

難波:私たちも、街を訪れる方たちに「長い時間を過ごして、万代シテイの魅力を発見してもらいたい」という思いがあるので参考になるアイデアです。

森山:プロジェクションマッピングなどを駆使して、音や映像も合わせるといいと思います。例えば、NGT48のライブに合わせて限定映像や画像を流したり、イベント開催時に関連映像で街全体を埋め尽くす「フィルアップタイム」を設けることで、イベント目的で来場したお客さんが万代を周遊できる仕組みが作れると思います。また、万代シテイのお店の広告を流し、魅力をPRする場にもなります。

難波:街全体に一体感が生まれますし、お客さまの滞在時間も延びそうですね。

吉川:イベントのステージに立つアーティスト側として考えても、万代シテイに大々的な広告ができる仕組みがあり、自分たちのプロモーションの場として活用できれば、また新潟に来たいと感じてもらえると思います。

山口:アーティストにもSNSなどで告知してもらえれば、自然と万代シテイのPRにもなりますね。

佐藤:今日は、非常に参考になるアイデアをありがとうございました。万代シテイ単独のイベントではなく、街が一体になって周辺に波及するような試みやPRができれば、街の魅力発信に繋がると思います。これからの50年を次の世代に楽しんでもらえるような企画でした。万代シテイはこれまでの50年を活かし、さらにこの先も新潟に在住の方々、新潟にお越しの方々の憩いの場であり続けることを目指します。そして、新潟にご縁のある方々の記憶に残り続ける街、来る側と迎える側の双方にとって有益な街に進化していきたいと思います。

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